
梅雨も終わり、暑い夏が近づきつつあるニッポン列島。熱帯夜から逃れるために、例えば日光金谷ホテルのような避暑地に宿を取るのも一案でしょう。しかし、それには、時間の都合も合わせなければなりません。暑さから逃れるための日常の道具と言えば、クーラー、扇風機、ウチワなど、様々あります。しかし、今回、紹介するのは、軽くて折畳めて、どんなところでもサッと取り出せてひとときの涼風を送ってくれる扇子です。中でも、職人魂を宿した江戸扇子を取り出せば、「粋な人」の演出にだって一役買ってくれるはずです。

扇子の起源は?
扇子というものの起源、これは案外知られていません。しかし、これ、実は、インドでも中国でも韓国でもなく、日本なんです。大陸から文化が伝わって、最終的に日本という島国で研澄まされていくというのが、工芸品に見られる一連の流れです。しかし、この扇子に限っては、洗練というレベルを超えて、日本で進化を遂げたのです。とは言え、やっぱり元々は舶来もの、扇子という優れた道具のアイディアの土台になったのは、ウチワです。紀元前に中国で発明されたと記録されるウチワが、日本に伝わり8世紀あたりに大化けする。それが扇子なのです。扇子はその文化的背景も深く、ただ扇ぐ道具ではありませんでした。古の日本人はそこに「心」を乗せていたのです。和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったり、とまあ言わば、粋な心のコミュニケーションツールだったわけですね。


江戸扇子というもの
江戸扇子と普通の扇子の違いは、骨数です。江戸扇子は、この骨の数が少ないのです。13から14本程度。どうして少ないかというと、これは江戸の「粋」の精神が通底しているからなのです。粋と言えば、無駄を省く精神です。ですから、ここに描かれる柄もシンプルで、京の扇子が雅であったなら、江戸の扇子は侘寂がであると言えそうです。すっきりとしていながらも、折がやや広めに取られていて、より多くの送風が可能な実用的扇子でもあります。また、落語家が寄席で小道具としても使っている扇子も江戸扇子なのですよ。


江戸扇子職人の第一人者
松井さんは、江戸扇子をつくる職人の2代目です。昭和22年に江戸川区で産声をあげ、お父さんであり先代の恒治郎さんの働く姿を見て育ったそうです。技は口伝ではなく空気で覚えるものと言いますが、少年時代から身近に江戸扇子を肌で感じていた松井さんでも、一人前の職人になるために費やした時間は約10年にもなったそうです。「ひとつ覚えたら、またひとつ。そんな風に好奇心を持ってやってきたから、続けてこられたのだと思います」。父の後を継いで職人になると決めるまでは、本人も精神的葛藤が大きかったようです。
「最初、数年間は会社勤めをしていました。しかし、まわりに江戸扇子の職人がどんどん減っていく現実を目にすると、このまま江戸扇子をつくる人が消えてしまっても良いのだろうか、そんな想いが沸いてきたのです」(松井さん)。
会社を辞め、扇子づくりに従事するようになってからの数年間は、孤独感に襲われるようなこともあったそうです。職人さんは、仕事柄、仲間に囲まれて仕事をするわけではないからです。しかし、そんな松井さんも、お父さんの後を継いで、今では江戸扇子を代表する職人として活躍しています。ちなみに、いい江戸扇子とは、閉じた時に小気味のいいパンッという音が鳴る扇子。加えて、広げて、歪まず、閉じてきっちりと収まり、見目に美しいもの、そんな扇子をつくれるかが職人の腕の見せ所なのだそうです。


江戸扇子制作事情
では、この江戸扇子をつくる裏側はどうなっているのか見てみましょう。まず、基本的に京扇子に代表されるような扇子は、分業で制作されるのが普通です。そこに関わるのは、折り師、刺し師、仕上げ師、などです。ところが、江戸扇子の場合、骨づくりと絵付けをのぞいては、すべての工程をひとりの職人さんが行うのだそうです。そして、驚かされるのは、松井さんの場合、作業するための台も自作しているのだそうです。ひとつの机で黙々とする作業だけに、その小さな宇宙の中で、松井さんが最も効率良く動くことのできる場所が必要になるのでしょうね。江戸扇子づくりで難しいのは、その素材にどう対処していくかだそうです。通常、素材として使われる和紙は湿度や乾燥具合で長さや張りが変ってしまうものなので、糊をどの程度の濃さで塗るかも勘を頼りにするしかないのです。つまり、職人さんの腕にかかっているわけですね。


美大とのコラボレーションでモダン江戸扇子が誕生!
さて、この松井さんの熟練の技、これは細部にまで気配りがなされているので、手に持ってみても何だか熱いものが伝わってきます。これから来る夏に備えて、是非、一本、良質な扇子を持っていると、夏を迎える気分も違ってくることでしょう。しかし、現代の服、若い人たちのテイストに和小物が合うとは限りません。むしろ、「和は好きだけど、自分が身に付けるのは抵抗がある」という人も多くいるはず。しかし、松井さんの江戸扇子のラインナップの中には、そんな人たちでも手を出したくなるデザイン性の高い扇子があるのです。それは、江戸川区が仲介となって「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」の一環で制作された商品郡です。これは端的に言えば、松井さんの技術と美大生のセンスが調和した作品で、見てよし、触れてよし、使ってよしの逸品なのです。こちらのサイトでは購入することもできるはずです。





若い感性
「若い人の発想には驚かされますね。でも、お陰様でよく売れてますよ」(松井さん」
コンテンポラリーな柄のデザインばかりではなく、技と骨を見えるようにしたデザインや郵便物としてそのまま送ることができるデザインなど、美大生らは、同プロジェクトを通じて、様々なアイディアを提案してきたそうです。並んでいるものを見ると、確かに現代的。10代、20代の人が、奇抜なファッションと一緒に持っていても何も違和感がないものばかりではないでしょうか。


エコな時代の涼風機
エコロジーという言葉が常にメディアで叫ばれている中、日本人が発明した扇子という道具は、世界的にも受け入れやすい物ではないのでしょうか。世界の人が現在の電化冷房機器の使用を控えて、鞄に扇子を忍ばせたなら、温暖化防止に多いに功を奏すのは間違いないでしょう。そして、そこに伝統に裏打ちされた技術と色とりどりのデザインが踊ったなら、いろいろな扇子の柄を見られるという楽しみも生まれてくるはずです。そして、その扇子が江戸扇子だったなら、パンッと扇子を折り畳む音と一緒に、きっと落語家みたいな粋な洒落も口をつくかもしれませんね。

Text & Photos :Takafumi Suzuki
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