
仙台亘理にあるファミリーロッジに宿を取った宮城周辺の取材。どこに行ってもお土産コーナーには、懐かしく可愛らしいコケシたちの顔がずらりと並んでいました。普段なかなか想いを巡らす機会がなかったコケシという存在、しかし確実に私たちの生活圏内には存在してきたモノ、それがコケシです。今回は、宮城県滞在中に、コケシづくりの作業工程の見学にお邪魔した「佐藤こけし屋」「松田工房」の店主でありコケシ職人をするお2人の話を聞きながら、コケシの歴史、こけしの現在、こけしの未来について、考えを巡らせることにしましょう。


日本の原風景としてのコケシ
読者の皆さんは、21世紀にある「コケシ」という存在をどのようなものとして感じているでしょう?装飾品、玩具、骨董品など、いくつかの捉え方はあるはずです。しかし、こけしと面と向き合い、コケシについてのあれこれを深く考えたことのある人は決して多くはないと思います。それでも、日本で生まれ育った人であれば、コケシを直に見たことがない人はいないでしょう。よくよく記憶の糸をたどってみれば、祖父母の家に置いてあった、よく通う喫茶店の窓際に置かれていた、観光地のお土産店で見かけた、など、長い人生の中、何処かしらで遭遇しているはずなのです。コケシが佇む光景とは、ある意味においては、日本の原風景でもあると言えそうです。

「昔は、どこでもコケシが飾って置いてあって、コケシで遊んでいる子供たちを見かけることのできた時代は、あったんですよ」(佐藤こけし屋・佐藤円夫さん)
しかし、これが実際、自らの手に取ってみたことがある人となると、その数はグンと減ってしまうかもしれません。現在、若い人や子供がコケシを欲しがるという話を聞くことはなかなかできません。やはり、コケシというものは、どうしても廃れゆく存在なのでしょうか。しかし、今回紹介するトピック「コケシ」には、意外にもさまざまな可能性が秘められていて、クリエイティブな投資をするには、もってこいの素材であるということに薄々気がついている人も多いのかもしれません。想像してみてください、「コケシが現代のアートやデザインとミックスされたらどうなるのだろう?」と。

コケシにユニークなアイディアをプラス
「今はコケシだけでの商売は難しいですね。だから、僕の方でもいろいろアイディアを練って、いろいろ試してみているんですよ。それにウチで働いているスタッフたちにも、何かいいアイディアがあれば積極的にやってみろと言っているんです。そうじゃないと、コケシづくりにも活気が出ないような気がしますから」(松田工房)

さて、そう難しく頭を悩まさずとも、実はそうした試みをしている人たちは、もう既にいるのです。その代表的な例が、現代美術二等兵でしょう。彼らは、コケシという人形のカタチに着目して、これを鉄アレーと組み合わせることによって、「鍛えて良し、鑑賞して良し」の「こけしアレー」というプロダクトを生み出しています。他に、若い世代にアピールするものとしては、こけしマッチ制作所のつくる「こけしマッチ」というものもあります。こちらは、シンプルにマッチの先っぽに、かわいらしい顔を描いたものです。また、種々のキャラクターとコケシのカタチをミックスしたものも登場しています。それは、例えば、PansonWorksがデザインを担当した仮面ライダーの「コメシメーン」であったり、ハローキティ姫こけしシリーズだったりとするわけです。こう一望してみると、コケシの知名度やシンプルさに宿る柔軟性はなかなかのものです。ですから、コケシを「消えゆく伝統工芸」として括ってしまうのは、可能性を秘めた素材としては、少しもったいない気がします。

コケシ史
でも、そもそもコケシというものは、どんな存在として、この世に出てきたのでしょう? コケシの歴史をたどってみると、元々は、東北地方で子供のためにつくられた玩具だったようです。いわゆる郷土玩具という存在です。
「文献にはあんまり残されていないんですけどね、昔の子供たちは遊び道具がなかったから、コケシを背中に背負ったりしながら、ママゴトやお人形さんごっこで遊んでたんです。どうもそこから発展して、温泉地のお土産物になったみたいですね」(佐藤こけし屋・佐藤円夫さん)


現代人の私たちには、子供たちがコケシでママごとをしたり、背中に背負って歩いていたりしていたという時代の光景を想い起こすのは、なかなか簡単なことではないでしょう。しかし、東北地方は、古くから豊かな森林に覆われていて、木こり、ろくろ師、木地師など数多く、「木」を中心に生業を立てていた人たちがいました。彼らが、仕事の合間に「遊び道具」として、子供たちに玩具をつくってあげたのは自然の流れだったのでしょう。そんな大人の子供たちに対する想いを起源として、江戸時代中期(享保年間1716年から1736年まで)以降から後期にかけて、温泉場のお土産ものとしても扱われるようになり、大人の観賞用の郷土品として、各地へと広がっていったもののようです。これだけシンプルなカタチの玩具が、東北地方だけが産地というのは、何かミステリアスなものさえ感じさせます。何はともあれ、今とは違い、昔の人にとっては、コケシは生活の中に溶け込んで存在する、とても自然なものであったわけです。

コケシ・ファン
現在のこけしは、熱烈なこけし愛好家たちによって支えられているか、お土産屋に立ち寄る観光客によって支えられているかのどちらかです。しかし、どちらかと言えば、大人の観賞用玩具としてコアなファンによって支えられているのが現在のコケシのようです。コアなファンの例を挙げれば、「東京こけし友の会」などがそうです。これは、こけしに興味がある人たちが集まって、つくられた会ですが、その活動は熱心そのもの。55年にもわたる活動歴もそうですが、同会が発行する『こけし手帖』誌には、こけしにまつわるいろいろな情報(「こけし写真撮影術」「秋の夜長にこけしを楽しむ」などの記事)があって、彼らがどれほど、こけしを愛しているかを知るのには、十分な出来映えです。

こけしブーム?
ところで、昭和40年代の日本で、コケシという存在が大きなブームになったことを知っているでしょうか?
「コケシ・ブームの頃は、つくったモノは全部売れてしまうという凄い時代でした。1メートルの高さのコケシというのもドンドン売れました。今は”また、コケシブームが来たらいいんだけどな、いやいつかまたコケシブームが来るはずだ”、そう信じて仕事をしているんです」(佐藤さん)
佐藤さんのお話によれば、その時代、こけしは日本全国津々浦々、いろいろなファンを抱えていたようです。特に大学の教授やお医者さんなどインテリの方に、コケシをコレクションする方が多かったというのは、少し意外な感じもします。
「彼らがコケシに魅せられるのは、コケシにはその産地毎に、顔の特徴や色があって、コレクションのしがいがあったからではないでしょうか」(佐藤さん)
東北地方から発生した文化ながら、その種類は、本当にバラエティに富んでいます。土湯系、弥治郎系、遠刈田系、鳴子系など、目、髪型、服の柄など、その違いを発見すると何か好奇心のようなものが刺激され、今まで思っていた「こけし観」がガラガラと崩れていくのを感じずにはいられないはずです。


コケシの未来
「ウチの息子は、今は東京で好きなことをやらせていますけど、やはり戻ってきてもらって、この仕事を引き継いでもらえたらと願っているんです。何かの工夫をすれば、まだ、コケシづくりの技術には人を惹き付けるものが残されていると思いますから」(松田さん)
コケシという文化は、江戸時代に起源を持つ古いものです。何かが自然淘汰でなくなることは仕方のないことなのでしょう。しかし、もしその歴史と技術に裏打ちされた文化が形を変えて未来に生き延びることができるのであれば、多様性のある豊かな社会をつくるという意味においては、是非、応援をしたい。そう思うのが人情です。




高い技術の力
今回、お邪魔をさせていただいた秋保工芸の里の「佐藤こけし屋」、そして鳴子温泉の「松田工房」さんで、実際にコケシづくりの技術を見せてもらうと、その高い技術力が一朝一旦で簡単に身に付くものでないことがわかります。そして、店内にズラリと並べられたコケシたちを見渡してみても、それらが備え持っている可愛らしさと威圧感、そして繊細さが、プラスティック製の人形や縫いぐるみでは決して真似できるものではないこともわかるはずです。




明るいコケシの未来を夢見る
「僕は学生時代には、デザインの勉強をしていたんです。ですから、そのときの経験を活かして、コケシの技術を使った木の玩具や阪神タイガースを応援するダルマ(このダルマはタイガースファンの目にとまり、スマッシュヒットの売上を記録)など、新しいコケシのあり方を模索しているんです。必ず、どこかに突破口があるんじゃないかと思うんですけどね」(松田)
「波はありますからね。コケシブームが来れば、ホントに忙しくなってしまいます。ですから、今は、静かにその波を待っているところなんですよ」(佐藤)
彼らは、今、コケシが斜陽産業となりつつあることは認識しながらも、コケシに希望を持っていないかと言えば、そんなことはないのです。むしろ、静かな希望を胸に秘めながら仕事に精を出しているのです。


コケシ×現代
宮城県のこけしには、3種類あります。最も有名なのは、首を回すとキュッキュッキュッと音がする鳴子系、そして、頭に放射状の、頬に八の字状の赤い飾りが描かれた遠刈田系、ベレー帽のようなものをかぶった弥治郎系です。「たかがコケシされどコケシ」。コケシの木の温もりを手に感じながら、素朴な顔を覗いてみると、その優しい木の温度が伝わってきて、「これぞ日本の伝統品!」と思わずにはいられないはずです。そして、21世紀という現代に、このコケシが、再び若い世代に、そして世界に羽ばたくような民芸品、もしくはオブジェになったら、それはきっと日本人として誇らしいことだと思います。「コケシ×現代美術」「コケシ×デザイン」「コケシ×テクノロジー」等々、切り口は様々に考えられるはずです。この記事をお読みの読者の方!もしもコケシにまつわる良いアイディアが想い浮かんだら、是非、PingMagRISA編集部にご一報を下さい! と、同時に、やはり「百聞は一見に如かず」。佐藤こけし屋や松田工房を実際に訪れて、本物に触れてみることは強くお薦めします。日本人のDNAが刺激されることは請け合いですよ。


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