
四国、愛媛県にある松山という地で、一番よく知られる名前は道後温泉でしょう。「道後温泉」という言葉は、道後近辺の温泉をひとまとめにして指すと考える人は多いはずです。確かに、それも間違いではありません。近隣の宿の多くが、温泉の大浴場を備えています。でも、実際には、この地に住む人の多く、訪れる人の多くが想い浮かべるのは、実は「道後温泉本館」という特定の場所なのです。今回は、古き良き時代の面影を残した、その道後温泉本館、そしてこの温泉処に似合うシックな宿、ホテル八千代を訪れました。

湯かごが宿に並ぶ珍しい温泉地
道後温泉という温泉地がユニークなのは、近隣のほとんどの宿泊施設も、「道後温泉本館こそがこの温泉地の心臓である」という事実を当たり前のこととして、オープンに受け入れている点です。ですから、それぞれの宿のエントランスには、「湯かご」がずらりと並べられています。そこには、「さあ、いってらっしゃい!」と言わんばかりのメッセージが感じ取れます。これ、他の温泉地ではなかなかみることはできないものですよね。「なるべくウチの温泉に入ってもらいたい」それが、普通の温泉宿の願いでしょうから。

『千と千尋の神隠し』湯屋のモデル
しかし、この道後温泉本館は、その存在から決して他が太刀打ちできるような施設ではないのです。何しろこの本館の建物、ただならぬ存在感を放っています。建てられたのも、100年以上も昔、明治時代のこと。夏目漱石の『坊ちゃん』にも登場します。噂では、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルにされたものでもあるようです。タオルの入った湯かごを腕に下げて歩けば、温泉地の独特の郷愁を感じることもできます。ですから、それぞれの宿が競争をするよりも、一緒にこの本館を心臓に据えて、この道後という温泉地を盛り上げた方がいい。そういう考えに行き着くのは自然の理なのです。古めかしくて、赴きがあり、尚かつ大衆的な活気も感じさせてくれる。道後温泉本館への道すがら、多くの来訪客らは、きっとそんなことを感じ取るはず。そして、それこそは、道後温泉を満喫してもらうための仕掛けでもあるわけです。

気品がこぼれてくる宿
さて、そんな道後温泉本館を味わい尽くすための基地として、しっくりくる宿はないものでしょうか。あまりにゴテゴテした豪華さで彩ることなく、加えてかしこまり過ぎないホッとするさり気ないサービスを提供してくれる宿。道後温泉本館が持つ独特の情緒に通底するような宿。そんな宿はないかと思って見つけたのが、館内にアンティークな明かりを灯す「ホテル八千代」でした。とにかく、この宿を体験してみて感じるのは、そのさり気なさです。出迎えてくれるスタッフたちの応対といい、エントランスを彩る調光といい、その全てに感じるのは、ほど良い節度です。

アンティークな調度品
筆者の印象を書かせていただくなら、この宿の空間には、何よりも品の良さが漂っています。それは、きっと、この空間に入った瞬間に多くの人が直感的に感じることではないでしょうか。「その原因は、何なのだろう?」そんなことを考えて、つぶさにまわりを見渡して気付くのは、館内に散りばめられた、その優しく温かみのある光です。ひとつひとつは、そこここに簡易に設えられている明かりなのですが、得も言えぬ品格が漂っているようにも感じられます。一体、これらは、どんなコンセプトで設えられているものなのだろうか?そんな疑問を支配人にぶつけてみました。すると、「これは、先々代にあたる父が趣味で集めていたアンティークの品々なんです。ひとつひとつは、案外、珍しいものらしく、ときどき泊まるアンティーク好きのお客さんなどは、”どうしてこれが、こんなところにあるんですか?”と驚くようなものもあるみたいですね」(井上裕士社長)。


よく見ると、かなりお洒落

レアなアンティーク調度品にマニアな宿泊客が驚くこともままあるそう

アール・ヌーボーの立役者の灯
珍しい逸品だと言われれば、「一体、誰のデザインの明かりになるのでしょう?」そうミーハーにも尋ねてみたくなるのが人情というものです。「はっきりはわからないのですけど、それぞれが貴重なものだそうです。たとえば、これはエミール・ガレの作品だと言われているものですね」(井上社長)。ガレと言えば、19世紀末に流行した装飾美術アール・ヌーボーを代表する作家です。なるほど、そうあっさりと言ってしまえるところが、この八千代のさり気なさを感じさせるポイントなのかもしれません。ちなみに、井上社長は、ドイツ・ニュルンベルクへの留学経験があり、ヨーロピアンな空気が漂うものに愛着を感じるようです。「ドイツに居た頃は、ただただ、街にある石畳の上を散歩しているだけでも楽しかったんです」(井上支配人)。アールヌーボーときて、ドイツの石畳とくれば、そこで得た影響が、空間の雰囲気にさり気ない品を乗り移らせるということもあるのかもしれません。


池田耕治氏とのコラボ宿
ところが、この「八千代」という空間、歩いているともうひとつのことに気付きます。それは、どこを歩いていても優しく語りかけてくる筆描きの絵です。かわいらしい筆のイラスト、そして、ついクスッと笑いがこみ上げてくるような文句。お風呂場ではお風呂場で、食事処では食事処で、お部屋ではお部屋で、その場に合わせた作品が飾られているのです。これは実際に体験してみると、非常に、痛快です。


場所毎に移ろいゆく無意識な自分の気分に、気付くこともできますし、何よりもホッとした気持ちにさせてくれて、「温泉宿に来ているのだなぁ」とつくづくと感じることができるのです。「この絵と文句は、池田耕治先生という画家が描かれたものなんですが、コラボレーションという形でオリジナルの作品も描いてもらっているんです」(井上社長)。館内にどことなく統一感を感じるのは、きっと、このコラボレーションが功を奏しているせいなのかもしれません。

ユーモラスな絵

ウィットに富んだ言葉

地元の人と触れ合える宿?
せっかく道後温泉に旅行に来るのなら、得も言えぬ風情を宿でも味わいたいと思う人がほとんどでしょう。そんな人には、きっと、このホテル八千代は満足のいく宿となるはずです。それに、この宿、現在、ユニークなアイディアを練っています。「もっと宿泊客と地元の人とが何かを共有できる場をこの八千代という場で実現できればいいなあと思って、池田先生にちなんだ絵手紙教室を開くつもりなんです。ここに宿泊する人にも、地元の人にも、この教室に参加してもらうことで、今度はそこで一緒になった地元の人が宿泊者に地域の穴場情報を提供する。そんな状況がきっと生まれてくると思うんですよね。その入り口として、当ホテルのシンボル的な存在である絵手紙を活かすのは、面白いチャレンジになるのではないかと考えているんです」(井上社長)。


若きオーナー、井上裕士氏

シャンデリアも!
行こう、道後温泉
とても、このアイディア、アットホームながら、なかなか賢いアイディアだとは思いませんか? 確かに、自分が泊まった場所で、地域の人と知り合えたら、楽しいですし、そこから得られた情報を元に旅程を組立てられたりしたら、ワクワクした旅になることは間違いないはずですから。土地の情緒を感じつつ、気品も味わえ、地元の人情に触れることができる、道後温泉本館と八千代の組み合わせは、なかなか手堅い組み合わせになりそうですね。


2 Comments
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Ping Mag さん、愛媛の第一号、拝見してとても嬉しい思いです。Webで見ると写真が一層きれいですね。池田先生の絵というか、コメントが和めます。
Posted by: 二宮です。 on April 11th, 2008 at 11:40 pm
[…] ƻ
Posted by: Anonymous on April 12th, 2008 at 12:40 am