みやじ豚:21世紀的養豚術が変えるブタの世界

2008年03月14日 カテゴリー: 神奈川県

みやじ豚:21世紀的養豚術が変えるブタの世界

「幻の豚」として、口コミで高い人気を博している豚があります。その名は、「みやじ豚」。年間出荷数わずか900頭。ジューシーで甘く深みを備えた味を持った豚は、彼らが開催するバーベキューイベントと直販でのみ口にすることができるものです。この豚のブランドは、美味しいだけの豚ではありません。そのビジネスのスタイルも新しくユニークなのです。新しい時代の養豚のあり方を明るく楽しいやり方で探りつつ、尚かつ美味しい豚をうみだす。みやじ豚は、新しい第一次産業のあり方を切り拓こうと奮闘するブランドです。今回、私たちは同ブランドの社長を訪ねてきました。



日本人と豚、豚肉と僕たち

日頃、私たちの食卓には、いかにもカジュアルな様子で「豚肉」というものが存在しています。ベーコンエッグ、ポークソテー、豚キムチ、トンカツ、ポークカレー、ゴーヤチャンプル、しゃぶしゃぶ。豚肉は日々の食生活を華やがせる必須のアイテムとも言えるかもしれません。牛肉にはないジューシー感、鶏肉にはない舌触り、羊肉にはない伸縮食感。豚肉には豚肉にしかない良さというものがあることは、多くの人が体験的に知っていることでしょう。

豚食の歴史

豚を食してきた歴史をちょっと調べてみます。すると、日本人の豚肉を食べてきた歴史には、紆余曲折あったことがわかります。古くから日本人は、豚肉を食べてきました。証拠として、豚を飼育していたことを伺わせる記述は、『日本書記』や『古事記』にも出ています。あの書物が書かれた時代には、豚も「猪」と呼ばれていたようで、「猪養」とか「猪飼」という単語が、「養豚」という意味で用いられています(猪が家畜化して豚になったので、「猪」と表されているという説もある)。ところが、豚肉の歴史は上下動します。675年には、天武天皇が「肉食禁止令」なるものを発して、豚肉が食べられなくなったり、戦国時代に、イエズス会の宣教師によって豚を食べる習慣が広められたり、江戸時代に、薩摩藩の江戸邸で豚の飼育と販売が行われたりしたようです。しかし、基本的には、「肉食禁止令」以降、日本での豚を食べる歴史というものは、盛んではなかったようです。ところが、この状況が徐々に変わるのが明治維新で、一気に変わったのが関東大震災後だそう。明治維新後、全国で豚肉は食べられるようになり、関東大震災後には豚を飼育することがブームにさえなったといいます。豚肉は私たちの食卓であまりにさり気なくたたずんでいますが、激しい歴史の荒波をくぐり抜けてこそ、豚肉が今の食卓に踊っているということを忘れてはいけないようです。

新時代の「3K」とは、どんなもの?

さて、前置きが長くなりましたが、この豚肉づくりに青春をかけるふたり、宮治兄弟が、神奈川県の湘南という地で養豚業に勤しんでいます。彼らの活動は、とてもユニークかつ社会的です。彼らの掲げるキャッチコピーは、「一次産業をかっこよくて、感動があって、稼げる3K産業に。」というもの。一般には、養豚業は、「汚い、臭い、きつい」という別の意味での3K産業として捉えられてきました。そこから見事なまでに前向きな発想の転換、言葉の置き換えを行ってくれた彼らとは、一体どんな人たちなのか、株式会社みやじ豚を訪ねてみることにしました。

養豚業に降り立った若きホープ

お話を聞かせてもらった宮治勇輔社長は、1977年生まれ。ひじょうに若い経営者です。彼が歩んだ道のりは、ひじょうにユニーク。元々、大学を卒業した彼は、大手人材派遣会社に就職、ベンチャー企業を起業することを目指しており、実家の養豚所を継ぐ気はまったくなかったといいます。そんな彼が、養豚の道に引寄せられたのは、偶然という名の必然なのかもしれません。社会人をする傍らでビジネスの勉強を進める日々に、彼は、あることに気づきます。それは、生産者が消費者とつながる場や仕組みが第一次産業にはないということです。

原点となったバーベキューパーティー

「それで大学時代に自宅でしたバーベキューパーティーを思い出したんです。当時は父が育てていた豚肉をみんなにふるまったら、みんな”旨い、こんなに旨い豚を食べたことがない”と食べてくれたんです。で、どこに行ったらそれが買えるの?とまで聞いてきてくれました」(宮治社長)。何だか羨ましくなるような光景ですね。養豚所からふるまわれた豚をバーベキューできるなんて、何とも贅沢な話です。「ところが僕は、招いた友人たちの”どこで買えるの?”という質問に答えることができなかったんです。父に聞いてもわからない。それはつまり、農家と消費者が切り離されているということなんです」(宮治社長)。

最強のタッグ

そんな記憶と情報が絡まりあって宮治社長は、いよいよ実家に戻り、養豚業の道に入ることを決意するに至ったわけです。「最初は、父にいろいろ言っても、お前は現実を理解していないと、一蹴されました。でも、僕には、消費者の声を直に聞いて、価格設定や流通経路などを変えていきたい、”新しい一次産業の創造”という信念と目標がありましたから、それを貫いて自分なりに事業をやらせてもらうことになったわけです」(宮治社長)。実は、宮治社長が実家に帰る少し前、弟である大輔さんも実家に帰って、養豚業の道に足を踏み入れていました。「帰ってみたら弟が既に養豚をはじめていたので、びっくりしましたよ(笑)」(宮治社長)。偶然の引き合わせというのでしょうか、弟の大輔さんもかつて同席した、兄が開いたあのバーベキューパーティーのときに抱いた「父の代でうちの美味しい豚を絶やしてはいけない」という熱い想いを胸に、帰ってきていたそう。こうして非常に強力なタッグチームが組まれたわけです。兄は営業、宣伝、販売などを担当し、弟は養豚を担当。役割分担もそれぞれの性格に基づいて自然に決まったといいます。



みやじ豚を簡単に言うと

みやじ豚の仕事への取り組み方の特徴を観察すると、以下の4点が挙げられるでしょう。「美味しい豚を養豚し提供する」「お客さんに商品を直接販売する」「バーベキューを通じたマーケティングをする」「農業を通しての地域ブランドを育成する」。どれも非常に明快で、ちょっと聞いただけでも「なるほど」と心地よくなる特徴です。それでは、より具体的にはどのようなことになるのでしょう?

その1、美味しい豚

「まず、みやじ豚では、豚に精神的なストレスを減らす方法で飼育をしています。これは、”腹飼い”と呼ばれる方法で、少ない数で兄弟だけを同じ部屋で育てます」(宮治社長)。豚も人間と同じく生き物。馴染みのある兄弟同士で育てられたり、余裕のある空間で育てられる方が美味しく育つというのは、興味深い事実ですね。ちなみに、みやじ豚の年間出荷数は、わずか900頭、血統、えさ、環境、健康にこだわればこその限られた頭数となるわけです。

その2、お客さんに直接

「そして、なるべくお客さんに直接届けるということです。そのために、通販、ネット販売を行うなどの取り組みをしています。その他にも、なるべく消費者に近いところという意味で、生協を研究したり、酒屋さんを通じて商品を流通させる試みなども考えています」(宮治社長)。将来的には、「みやじ豚」のアンテナショップとなるレストランもプロデュースしたいとのこと。ビジョンが非常にクリアですね。

その3、バーベキューパーティー

「これは、僕がバーベキューマーケティングと呼んでいるもの(笑)。月一度、バーベキューパーティーを開催しているんです。これは、口コミで宣伝できる上に、お客さんの生の声も聞くことができるわけですから、なかなかいいんですよ」(宮治社長)。この方法、実に上手くいっているようで、生の声が聞けて、人脈が広がるだけでなく、参加者への直販率は増えているそうです。参加する人たちにもメリットがあります。美味しい豚にありつけ、美味しい空気を吸えて、自分の知らない業界からやってきたさまざまな人と知り合える、良い機会が得られるわけですから。



その4、地域ブランド力

「今、湘南といっても、皆さんが想い浮かべるイメージは、青い空に青い海、そしてサザンオールスターズ(笑)くらいじゃないかと思うんです。僕は、 “みやじ豚”というブランドが、名指しで買われるくらい有名にしたいと思っています。農産物が湘南を代表するブランドになれば、イメージではなく、具体的なものがブランドになり、原材料を提供する農家も加工する加工会社も、販売する小売業者も潤い、それが結果として地域を活性化する。地域活性という言葉は非常に曖昧なので使いたくないんです」(宮治社長)。この意見には、地域に根ざして事業に取り組む多くの人が同意するはずです。長野県の犀北館からほど近いところにあるアジアン雑貨&カフェ『asian night market』の店長の辻和之さんも通底することを述べていました。



みやじ豚、成功への道

なるほど、みやじ豚の掲げるキャッチコピー「かっこよくて、感動があって、稼げる」3Kは、ただの絵空事で終わりそうもありません。とにかく、未来につながる新鮮なアイディアと漲るエネルギーが中心人物である宮治社長に、溢れているのですから。「ところで、兄弟のもうひとりはどうしたの?」そんな疑問をお持ちの読者のために、最後に、取材に同席できなかった弟さんのことも聞いてみました。「弟は、ひとつのことにコツコツ取り組むことが得意な職人肌です。だから、豚舎でひとりで作業するのも苦になりません。僕とは正反対の性格です。期せずして同じ時期に実家に戻って養豚業の道に進んだというのは非常に運命的です。性格が反対というのも大きくて、これが同じような性格だったら絶対にうまくいきません。だから、最高のパートナーですね(笑)」(宮治社長)。鬼に金棒とは、まさにこのこと。揺らぎない信念で、はっきりとしたビジョンを持ち、最高のパートナーと道を歩む宮治社長は、もうそれだけで成功への切符を手にしているようにも感じられます。彼らの歩みからは、目をはなすことができそうにもありません。歴史を持つ日本の食用豚の歴史を変える次なるターニングポイントは彼らなのではないか、そんなことすら感じさせてくれます。読者の皆さんも、是非一度、「みやじ豚」のサイトを訪ねてみてください。商品の購入ページもありますし、バーベキュー開催のお知らせもあります。幻の豚とはいえ、そこに手を伸ばすことはできるのです。きっと、その経験は、「美味しい豚とは、何なのか」を知り、「第一次産業とは何か」を考える、とてもいい機会になると思いますよ。

Text & Photos: Takafumi Suzuki
Special thanks to Hiroko Torigoe

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