
男子厨房に入ることなかれ。そんな古い言葉はどこ吹く風。今や、男が料理を楽しむのは、当たり前の時代となりました。「料理できる男って、格好いいよね」、そんなことを口にする女性も少なくないと聞きます。凝りはじめたら止まらないのが、男の性。料理だけに留まらず、調理器具をコレクションするのが趣味になってしまうという男性もいるそうです。今回レポートするのは、長崎県から生まれた切れ味抜群、最高級の包丁です。何と、この包丁、その名前をズバリ『男の包丁』と言います。男の中の男の包丁と噂される、この包丁、一体、どんな包丁なのでしょう。

手書きのパッケージ?
『男の包丁』、斬新なネーミングの包丁です。まるで、奇をてらっているかのような名前。しかし、実際のところはさにあらず。この包丁は、男の中の男が、渾身の力と魂を込めてつくる包丁なのです。箱に描かれた筆字の「野分け」「彩雲」、そして、いかにも鍛え上げられた刃先を見るだけで、職人の生々しい息づかいが聞こえてきそうです。工業化の進む現代に、毛筆による手書きのパッケージなんて、何と温かみがあるのでしょう!
包丁に込められているのは?
かつては戦いに用いられた刀鍛冶の技術が映された刃物。この「男の包丁」という商品が生を受けたのは、長崎県大村市松原村にある、田中鎌工業という小さな鍛冶工場です。この包丁が宿しているのは、はてしなく長い歴史とひとりの男の熱い想いでした。

水と土が命の刃物?
長崎には、刃物の生産地が3箇所あります。三和町蚊焼、島原市、そして大村市松原です。この土地で鍛冶業が栄えた理由のひとつは、「焼き入れ」という作業に松原の良質な水と土が適していたためです。しかし、いくら水と土がいいものであっても、そこには刃物を造れる職人が必要となります。職人は、一朝一夕に育成できるものではありません。では、彼らはどこからやって来たのでしょう?
落ち武者の里は武者のみにあらず?
このことについては、いにしえの源平の戦乱が深い関わりを持っています。ときは約800年前、文治元年、1185年、壇ノ浦では有名な戦いがありました。源氏と平家のいくさです。歴史の教科書で習った通りに、ここで敗れるのは、もちろん平家。日本各地には、平家落ち武者の里というものがあるのは、多くの人が知るところでしょう。このときのことを目にまざまざと思い浮かべることができれば、都落ちをしてくるのは、「武者」だけではないことはわかるはずです。奥さんや子供などの家族、そして、その他、武者のまわりにいる要人などは、必死の想いで源氏の追っ手の討伐を逃れて、東奔西走したわけです。

武者とともに逃れた名工?
そして、その中には、腕のいい刀工も紛れていた。平家が拠点とした大和の国の所在地は、現在の奈良県です。そして、ここから、遠路はるばる九州の日向の国(宮崎県)に逃れ、身を潜めた一群がいました。そして、その一群には、刀鍛冶の名工もいたのです。彼の名は、並衛行春といったそうです。そして、そこからさらに300年の時が過ぎた頃、その名工の子孫が松原の地で刃物を叩いたのです。松原刃物の歴史は、こうしてはじまりました。
松原鍛冶の技術伝承の歳月はいかほど?
松原村の郷土誌には、こう記されています。「文明6年(1474年)、並衛氏の子孫が日向の国から、肥前の国大村(長崎県)に来て八幡神社の境内で刀を鍛え、また、農民の要望に応じてこの時に初めて月型の鎌が造られた」と。源平合戦から300年の間、代々受け継がれた、当時としても伝統だった匠の技。そして、そこからさらに530年あまりの歳月が過ぎたのが今、現在の松原刃物です。合計すると、880年近く!の伝統の技が松原刃物になるわけです。その長きにわたって、何百何千という職人たちが、赤く熱した鉄を叩いてきたなんて、想像を絶する伝承ですね。トントンカンカンという音は、はるか昔からこの土地に鳴っていた。そう思うと、ロマンチックな郷愁すらわいてくる想いです。

松原刃物って?
さて、それだけの時間のトンネルをくぐり抜けてきたのが松原刃物なわけですから、ここで造られてきた鎌、鍬、なた、包丁が悪いものであるわけはありません。特徴は、両刃の黒打ちや磨きをかけない地のままの色、そして切れ味と粘り強さ(耐久性)です。
刃物はどうやってつくるの?
では、刀鍛冶の時代から受け継がれる刃物のづくりの技法のあらましをザッと見てみましょう。切れ味の良い刃物をつくるために必要なのは、硬い鉄(鉄鋼鉄)と柔らかい鉄(鉄軟鉄)です。鉄鋼鉄を鉄軟鉄ではさみ、荒打ちをします。そして、それぞれの刃物に合わせて、大まかな形を切り出します。さらに、形と厚みを整えるために、ふたたび焼いて赤めて打つ、という具合。そして刃を強くするために、熱した刃物を水や油で一気に冷やします。これが焼き入れという作業です。このときに、先に触れた良質の水と土が必要になってくるわけですね。その後には、研ぎの工程、刃先を付ける工程、そして柄を取り付ける工程を終えて、刃物として完成するわけです。私たちが何気なく使っている刃物も、長く険しい工程を経ることで、道具としてのカタチを得るというわけです。

男の包丁の発案者って誰?
さて、この刃物をつくっている現代の鍛冶屋さんが、田中鎌工業の4代目・田中勝人氏です。そう、この写真の人物が、その人です。何だか、ハリウッド俳優みたいにハンサムな人ですね。工場に立つ彼の凛々しい姿に、男らしさや格好良さを感じない人は珍しいのではないでしょうか。冒頭で紹介した『男の包丁』の発案者、その人物こそが田中さんなのです。その発想のユニークさ、生真面目さが素晴らしいのはもちろん。ビジュアル的な観点だけから見ても、田中さんは、男の人が憧れを抱く職人の代表という気がします。ところで、田中さんが、この包丁を発案したのは、どうしてなのでしょう?

その完成度の秘密?
田中さんは語ります、「元々、普通の包丁はつくっていたんです。それで、数年前に、その包丁の切れ味を自分自身で試して使ってみたいと考えて、料理をはじめたんですね。その後、どんどんと料理にはまっていって、最後には、魚をさばくまでになってしまいました。そうすると、自分自身で満足のいく、最高に優れた切れ味の包丁が欲しくなったんです」。自分の趣味から高じた包丁とあれば、信頼度が違います。きっと、田中さん自身が妥協のない技を惜しみなく投じたのも、そんな関係からだったのではないでしょうか。これを聞くと、男の包丁の完成度が高い理由もよくわかります。
ひとりの職人の本当の祈り?
しかし、実際には、もうひとつの理由があるのです。「最近は、家族でもみんな食事をバラバラにするようになってしまいました。僕にとっては、それはあまりに淋しい、情緒の欠けた食卓の風景なんです。だから、一家の大黒柱であるお父さんが、家族を呼び集めて、真ん中で料理して、それを家族にふるまう。そんな家が出てきて、家族での温かい食事というものが、もう一度見直されればいいと思っているんです。その温かい食卓を支えるものとして、男の包丁が役に立ってくれたらなあ。本当は、それが僕の願いなんですね」。裏には、深い深い男としての願い、祈りにも近い想いがあったようです。一筋縄ではいかぬ大テーマなだけに、時間はかかるはずです。それでも、そんな気持ちを携えて、台所に行く男達が出てきたなら、日本中に円満家庭は増えるのでしょうね。受注生産ながら、ネット上での販売受付もしています。気になる人は、下記、田中さんの会社のHPをチェックしてみてください。
田中鎌工業
長崎県大村市松原本町371
http://www.e-kajiya.com

取材/鈴木隆文
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